
効果か癒しか
仏道に帰依し高野山總持院で得度を受けて三年が過ぎました。年に二度の高野山参詣、月に一度の佐賀本福寺参籠、そして朝夕のお勤めと必要最小限と思われる懺悔、感謝、願いの僧道をおくっています。 神仏にお参りすることは、願いに対する実現である効果を求めることなのか?あるいは安心を招く癒しを求めることなのか? 私の最近の心境は癒しの結果、願いの実現が得られるのではないかと思っています。 人は安心すると、物事を素直にそして正確に観ることが出来る様になり、正しい判断をすることが可能になってくるのではないでしょうか。つまり安心の境地に近づくための仏道修行ではないかと今の私は思っております。 ※得 度…出家のこと ※高野山…和歌山県西北部にある山、八一六年空海(弘法大師)が真言宗の総本山金剛峯寺を創建 ※總持院…金剛峯寺の一つで、細川家縁の寺院 ※参 籠…神社、仏寺などにこもって祈願すること